ヒップホップ誕生秘話?!その文化的背景とは

2016年8月4日

みなさんは普段、どのような音楽を聞きますか?R&Bやパンク、レゲエ、クラブミュージックなど様々なジャンルがある中で「ヒップホップ」が好きだという人もいることでしょう。音楽ジャンルの1つとして確立されているヒップホップですが、実は音楽だけでなく様々な文化的要素を含んでいることはご存知でしょうか?

ヒップホップの要素とは

ヒップホップ(Hip Hop)は1970年代のアメリカ・ニューヨークのブロンクス街で生まれた文化です。文化の担い手となったのはアフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカン、ヒスパニック系の住民たちでした。「Hip=かっこいい、イケてる」「Hop=跳ねる」という2つの言葉を組み合わせた造語で、それまでの黒人文化と音楽やアートが融合し新しいスタイルが創造されていく様を表現した言葉です。ヒップホップではラップ、DJプレイ、ブレイクダンス、グラフィティ(壁などへの落書き)が4大要素と呼ばれています。これらの隆盛にはストリートギャング文化が深く影響しています。グループ間の諍いを無血で収束させるためにラップやブレイクダンスで優劣を競ったり、縄張りの主張のためにグラフィティが用いられたりと、暴力の代わりの平和的解決手段として使われていたのです。

ヒップホップ・ミュージックとは

ヒップホップ文化の生まれたブロンクスという街区はとても貧しい地域で、お金のないアフリカ系アメリカ人たちは屋外の公園で音楽パーティーを開き、娯楽として楽しんでいました。その中からターン・テーブルを巧みに扱い人々を魅了するアフリカ・バンバータ、グランドマスター・フラッシュ、そしてクール・ハークというカリスマ的な3人のDJが誕生し、その3人によってヒップホップ・ミュージックは音楽として形作られていったのです。彼らDJがレコードを回す中でダンサーが踊り、リズミカルな音楽に乗せてMCが韻を踏んだラップを披露しパーティーを盛り上げ、若者たちの支持を集めました。貧困に苦しむ若者たちはお金の無い中で自分の思いや主張を表現する文化としてヒップホップに傾倒していったのです。

日本でのヒップホップ・ミュージック

日本でも1980年代以降、ラップを取り入れた楽曲が発表されるようになり、少しずつ音楽の1つとして認知されるようになっていきました。特に1988年に結成したスチャダラパーの楽曲が人気テレビ番組「タモリのボキャブラ天国」のテーマソングとして採用されたことで日本人にラップやヒップホップ・ミュージックというジャンルが浸透していったのです。現在ではRIP SLYMEやKREVA、SEAMOなど日本の音楽チャートにその名を連ねるようなヒップホップ・アーティストもたくさん誕生しています。

まとめ

アメリカ・ニューヨークの貧困街で若者たちの文化として産声を上げたヒップホップ。その起源や文化的背景を知れば、より一層ヒップホップ・ミュージックを楽しめるかもしれませんね。

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